ペンチの行方



ぬるい雨が穏やかに降る蒸し暑い昼に、クールビズだかなんだか知らないがこ
の雨降りにスーツをラフ過ぎるほどラフに纏った男が猫足の洒落た椅子に軽く腰
掛け、その長いすらりと伸びた脚を組んでいる。そしてわたしはそれをソファに飲
み込まれたようにもたれ込んだ形で、真正面から取り憑かれたようにじっと静か
に眺めていた。堪えかねたように、ティキは軽い咳払いをしてわたしを手招いた。
成る丈、音を立てないようにソファを離れ、吸い寄せられたように腰掛けたティキ
の二つの脚に跨る。椅子が小さく軋んだ。


「どうか、したのか?」


表情なく機械的に口を開いた彼の目は乾いている。わたしはそれが堪らなく愛し
くなった。空は重く澱み、稲光が更に空気を陰鬱にしている。雨は未だ止まない。


「…なにも」


「なあ、おれのことすき?」


「きらいだよ。だいっきらい」


「ロードは?」


「すき。だいすき。かわいい」


その間もティキの眼は乾いてゆく。居場所を失くしたみたいに見えた。(ああなん
て愛しいの!


「おまえ、歪んでるよ」


ティキの口調からは悲しみの色が伺えたけれど、わたしはそれを亡きものと見做
して、掻き消した。馬鹿らしいくらいにわたしはこの男がすきなのだ。単純明解に。
理由など在りはしない。


「そうかもしれない」

目を閉じて考えるということをまったくやめてしまうと、部屋の微妙な光の強弱が
解った。脳味噌を漂白して、より白にするとティキの影すらも見えそうな気がする
ほどだった。


、おまえってさあ…ホント、いい女だよ」


「そうかもしれない」


歪んだ私は、それなりに歪んで笑った。そんなわたしをティキは滑らかに手繰り寄
せて抱きしめた。そこに無音でふわりと舞い起こった風は、ティキの煙草の曲がっ
た香りがした。

 


この世界は歪んでいる。